「学校に行けなくてもいいよ」その一言で救われた僕の話|不登校だった僕が感じたこと

学校に行けなくなった時、僕は自分でも気づかないうちに心が限界に近づいていました。 朝起きるだけで胸が苦しくて、制服を見るだけで涙が出そうになる。 それでも「行かなきゃ」「みんな行ってるのに」と自分を追い詰め続けていました。

そんな僕を救ってくれたのは、特別な出来事でも、大きな成功でもありません。 ただの“たった一言”でした。

ここでは、僕が不登校になった時に親がしてくれたこと、そして最後にかけてくれた言葉がどれだけ大きかったかを、紹介していきたいと思います。

1. まずは休ませ、病院へ連れて行ってくれた

学校に行けなくなった当初、親が最初にしたのは「休ませること」と「病院に連れて行くこと」でした。

当時の僕は、心が限界なのにそれを認められず、

  • 「俺は鬱じゃない!」
  • 「病院なんて行きたくない!」

と叫んで抵抗したのを覚えています。

でも今振り返ると、あの時の僕は明らかにおかしかった。 寝られない、食べられない、笑えない。 それでも「大丈夫」と言い張っていた。

もし親が受診を促してくれなかったら、僕はもっと自分を追い詰めていたと思います。 早めの受診は、僕にとって大きな転機だったと思います。

2. 家を「安心できる場所」にしてくれた

病院に通い始めて少し落ち着いた頃、学校に短時間行くだけでもヘトヘトでした。 そんな僕に親はこう言いました。

  • 「頑張ったね」
  • 「学校に行けなくてもいいよ。他にも選択肢はあるからね」

この言葉に、どれだけ救われたか分かりません。

家が安心できる場所になったことで、僕はようやく一息つけるようになりました。 学校で消耗して、家でも責められていたら、僕はきっと壊れていたと思います。

3. 僕の気持ちに寄り添い、話を聞いてくれた

心が不安定な時期、親はいつも僕の話を聞いてくれました。

「将来大丈夫なのかな…」 そんな不安を口にした僕に、母はこう言いました。

「将来のことより、まずは病気を治すことに専念したらいいよ。 生きていてくれるだけで十分うれしいよ」

この言葉は今でも心に残っています。 僕以上に、親の方が僕のことを考えてくれていたんだと気づきました。

話を聞いてもらえるだけで、心が少し軽くなる。 「味方がいる」という安心感は、本当に大きかったです。

4. どんな時も「味方でいる」と言ってくれた

ある時期、僕は人を信じられなくなり、

  • 「人は皆嘘をつく」
  • 「誰も信用できない」

と本気で思い込んでいました。

そんな僕に親は、

「親はどんな時もあなたの味方だからね」

と言ってくれました。

この言葉で、僕は「味方がいる」という感覚を取り戻しました。 たった一人でも味方がいるだけで、人はこんなにも救われるんだと知りました。

5. 自由に時間を使わせてくれた

不登校の間、親は僕に「ゲームは何時間まで」などの制限をほとんど言いませんでした。

僕はゲームをしたり、ブログを書いたり、プログラミングをしたりして過ごしていました。 それはただ遊んでいたわけではなく、エネルギーを貯めていた時間だったと思います。

もしあの時、親が否定的な言葉を言っていたら、僕はもっとイライラしていたはずです。

今ではゲームも自然と減り、外に出られる日も増えてきました。 自由に過ごせた時間が、回復の土台になったと感じています。

最後に

僕を救ったのは、特別なことではなく、 「学校に行けなくてもいいよ」 という、たった一言でした。

あの言葉があったから、僕は自分を責めるのをやめ、少しずつ前を向けるようになりました。

もし今、学校に行けなくて苦しんでいる人がいたら、 どうか自分を責めないでほしい。 そして、あなたの周りにもきっと“味方”はいます。

参考になれば幸いです。

↓次に読んでほしい記事↓

不登校の僕に親が実際にしてくれたこと5選|回復のきっかけになったサポート

コメント