不登校だった僕が学校に行けなくなった理由と、その後どう変わったのか|リアルな体験記

1:不登校になった理由

僕が不登校になった理由は、正直いまでもはっきり分かりません。 「これが原因だ」と言い切れるものがなくて、気づいたら学校に行けなくなっていました。 行きたくても行けない。 ただ、それだけでした。

本格的に行けなくなったのは中学三年の十月。 何度か学校に行こうとチャレンジしたけど、そのたびにしんどくなって、結局完全に行けなくなりました。 卒業式だけは出たけど、それを決めるまでにも何回も悩んだし、当日の朝まで迷っていました。

完全不登校になって二か月後、親にメンタルクリニックへ連れていかれました。 僕は「どこも悪くない」と訴えたけど、親は聞き入れてくれませんでした。 今思えば、親も必死だったんだと思います。

診断は「適応障害」と「不安障害」。 その結果を聞いた時、なんとなく納得しました。

当時の僕は、

  • 睡眠障害

  • 人の目が異様に怖い

  • 音に敏感

  • 仲の良かった友達とも連絡を取りたくない

こんな状態でした。 先生からは「とりあえず休養しなさい」と言われ、そのまま“完全不登校=休養期間”に入りました。

でも受験生だったから焦りもありました。 そんな時、親から 「学校は行かなくていい。生きて笑っていてくれたらそれでいい」 と言われて、泣きそうになりました。 僕も親も、あの時は本当に悩んでいたと思います。

2:不登校からの休養、そして進学へ

完全不登校になってからは勉強を放棄して、毎日ジムに通っていました。 まだ人が怖かったから、親に付き添ってもらって。

薬を飲みながら、なんとか生活リズムを整えようとしていたけど、最初は全然ダメでした。 夜眠れなかったり、逆に異常に寝続けたり、ゲームすらやる気が出なかったり、とにかく無気力。 「このままどうなるんだろう」と不安ばかりが増えていきました。

そんな僕を見て、親は調子のいい日に 「ビッグパフェ食べに行く?」 「USJ行く?」 「肉食べに行く?」 といろんなところに連れ出してくれました。

親いわく、 「平日に遊びに行けるなんて今しかないやろ」 と言って、しまかぜや火の鳥にも乗せられました。 親も気晴らしになっていたのかもしれません。

でも受験は迫ってきます。 十二月頃に親と進学について話し合いました。

  • 通信制にする?

  • 私立に行く?

  • 高校に行かない?

  • 就職する?

いろんな選択肢がありました。

僕は行きたい高校があったけど、内申が足りず断念。 最終的に私立高校に行くことに決めました。

理由は、

  • 通信制はいつでも転学できる

  • 適応障害になる前にオーキャンに行っていて、滑り止めとして考えていた

  • 無理して受験勉強をしなくても合格できるレベルだった

受験勉強を始めたのは一月後半。 赤本しかやっていません。 本当はもっと早く始めたかったけど、姉の子どもからインフルをもらってしまい、持病もあって回復に三週間かかりました。

3:全日制での葛藤

全日制高校に入ってからも、頑張りすぎて高一の十一月に適応障害が再発。 また不登校になりました。

正直ショックでした。 心も体も動かなくて、どうにもならなかった。 行きたいのに行けない。 単位のこともあって焦りだけが増えていきました。

一月まで休養して、そこからは“危ない教科だけ出席する生活”が始まりました。 電車には乗れず、親に送り迎えしてもらっていました。

親に迷惑をかけていることすら考えられない状態だったけど、 「あと少しだから一年の単位だけは取ろう」 と言われて、甘えてお願いしました。

先生たちも本当に良い人たちで、 「十分だけ出席してくれたら単位あげるよ」 と言ってくれました。

きっと先生と親がいろいろ話してくれていたんだと思います。 今になって思えば。

本当はこの学校でずっと高校生活を続けたかった。 環境も良かったし、もったいない気持ちもありました。

一年の単位は無事に取れたけど、四月からの生活に悩みました。 休養して少し良くなったと思っていたけど、六月にはまた行けなくなりました。

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