不登校になったとき、僕はずっと「普通になりたい」と思っていた。 みんなみたいに朝起きて、学校に行って、授業を受けて、友達と笑って、当たり前のように帰ってくる。 そんな“普通の生活”ができない自分が、どこか壊れているように感じていた。
でも、不登校になって時間が経つほど、心の中にひとつの疑問が生まれた。 「普通って何?」 この言葉が、僕の中でずっと響き続けていた。
1. 日本の「普通」はとても狭い
日本では「普通」という言葉が強い。普通は学校に行く・普通はみんなと同じようにする・普通は遅れない・普通は頑張る・普通は我慢する
こんな“普通の基準”が、まるで正解のように扱われる。
だから、そこから外れるとすぐに 「自分は普通じゃない」 「みんなと違う」 「ダメな人間なのか」 そんな気持ちが押し寄せてくる。
僕もまさにそうだった。
学校に行けなくなった自分を見て、 「普通の自分に戻りたい」 「普通の生活を取り戻したい」 そう思い続けていた。
でも、どれだけ願っても、どれだけ頑張っても、 僕は“みんなが言う普通”には戻れなかった。
2. 不登校になった僕が感じた「普通じゃない自分」
不登校になった頃、僕はこんなことを思っていた。
- 朝起きられない自分は普通じゃない
- 学校に行けない自分は普通じゃない
- みんなと同じようにできない自分は普通じゃない
- みんなに追いつけない自分は普通じゃない
“普通じゃない”という言葉が、まるで呪いみたいに心に貼りついていた。
でも、あるとき気づいた。 「普通じゃない=悪い」ではないということに。
むしろ、普通にこだわりすぎていたのは僕の方だったかもしれないと。
3. 「普通になりたい」って、誰のため?
僕が普通になりたかった理由は、 自分のためじゃなくて、 周りに合わせるためだったのかもしれない。
親を安心させたい・先生に迷惑をかけたくない・友達から遅れたくない・変な目で見られたくない
全部“誰かの基準”で生きようとしていた。
でも、そんな生き方は苦しい。 だって、僕は僕なのに、 “誰かの普通”に自分を押し込めようとしていたから。
4. 不登校になって初めて、自分の「普通」を考えた
不登校になったことで、僕は立ち止まった。 そして、初めて自分に問いかけた。
「僕にとっての普通って何?」
朝起きられない日があってもいい。 学校に行けない時期があってもいい。 みんなと違うペースでもいい。 休むことが必要な時期もある。
それらは全部、 “僕にとっての普通”だった。
日本の「普通」は狭いけど、 人の「普通」は本当はもっと広い。そのことだけは覚えていてほしい。
5. 僕は普通になれなかった。でも、それでよかった
正直に言うと、僕は今でも“みんなが言う普通”にはなれていない。 でも、それを恥じることはない。
むしろ、 普通になれなかったからこそ気づけたことがある。
- 自分のペースで生きていい
- 無理して合わせなくていい
- 休むことは悪いことじゃない
- 人にはそれぞれの普通がある
不登校はつらかったけど、 あの経験がなかったら、 僕はずっと“誰かの普通”に縛られたままだったと思う。
最後に:「普通」は誰かが決めるものじゃない
不登校になって初めて、 僕は“普通”という言葉の意味を考えた。
そして今はこう思っている。
普通は、誰かが決めるものじゃない。 自分で決めていいと。
日本の「普通」に合わせられなかった僕だけど、 僕なりの普通を見つけたことで、 ようやく自分を肯定できるようになった。ただ僕は合わなかっただけだ。だから、選んだ道を正しい道にすればいい。僕はそう思ってる。
参考になれば幸いです。
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